ポリシー・代表略歴
POLICY&REPRESENTATIVE’S PROFILE
POLICY&REPRESENTATIVE’S PROFILE
以前、私は営業マンとしてある建設会社A社のお手伝いをしていたことがあります。A社は、決算と税務申告を比較的大手の会計事務所に依頼していました。決算の時期が来て、会計事務所の担当税理士が試算したところ、その年の決算は売上高8億円、最終損益は500万円ほどの赤字になるということでした。
会計事務所の担当税理士はこんなことを言いました。
「社長、今年は赤字だから、税金かからないよ。たった500万くらいだから、赤字でもいいよね。このまま申告しておくから」
これに対して社長は「ああ、税金がかからないんだったら、いいね。まかせたよ!」というやりとりをしていました。
ところが、その翌年になって、A社の銀行融資がすべて止まりました。
運転資金の借入を前提としたキャッシュフローによる経営を行っていたA社は、大変なことになりました。
これまでにない逆境に向かって、社長と従業員が一丸となって立ち向かいました。しかしながら、がんばった甲斐もなく、会社は解散・清算せざるを得なくなりました。
「なんとか従業員に退職金を出してあげたい」
「なんとか自分の家族に自宅だけは残してあげたい」
社長は強く願いました。
そんななか、社長は自分の生命保険を思い出しました。自分の命をなげうって、退職金と自宅にあてようと考えたのでした。
私は社長の深刻ながらも軽率な計画を、どうにか止めることに成功しました。
しかし、これと引き換えに、従業員は退職金を受け取ることもなく全員失業しました。 地元の名士だった社長一族は、先祖代々続いた土地と屋敷をすべて銀行に奪われ、翌日から家族5人で、家賃3万円のアパート住まいになりました。私立の学校に通っていた子供たちは、公立校への転校を強いられました。
後になって、A社のその年の決算書を見ると、原価・費用の計上がすべて現金主義で処理されていました(支出時に経費処理する方法)。現金主義ではなく、売上高と原価・費用を対応させる方法で私が再計算してみると、実は赤字ではなく、多少利益が出ていたことが分かったのです。 もし担当税理士が税金のみに関心を寄せるのではなく、建設業であることを十分に理解した上で決算を組んでいたら、A社の悲劇は起きなかったのです。私は、こんなお粗末かつ悲惨な事件を目の当たりにしたのでした。
実は、このような悲劇が全国各地で実にたくさん繰り広げられているのです。どんな社長でも会社の経営は命懸けです。家族、従業員のために死ぬ気で頑張っています。
あのとき、税理士の言うことを鵜呑みにせず、まかせっきりにしなければ…。もっと決算対策を練っていれば…。
しかし、後悔しても後の祭りなのです。
昭和43年 | 長崎県長崎市浜町生まれ |
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昭和62年 | 県立長崎南高校を卒業 |
平成3年 | 慶応義塾大学商学部を卒業 |
平成4年 | 公認会計士2次試験に合格 |
平成4年 | 中央監査法人(4大監査法人)の国際部(PwC)にて、法定監査・外資系企業監査に従事 |
平成8年 | アーサーアンダーセン(当時世界最大コンサルティングファームArthur Andersen)にて、国内税務、国際税務、人事コンサルティングに従事 |
平成10年 | 公認会計士登録 |
平成12年 | 税理士登録 |
平成12年 | ㈱ヘルスケアシステムズにて、医療経営コンサルティングに従事 |
平成13年 | 千代田区平河町砂防会館にて独立、森総合会計事務所オープン |
平成18年 | 規模拡大に伴い港区赤坂の三会堂ビルへ森総合会計事務所を移転 |
平成23年 | 規模拡大に伴い港区赤坂の日本自転車会館へ森総合会計事務所を移転 |
平成25年 | ㈱森総合コンサルティングを設立、代表取締役に就任 |
平成26年 | 規模拡大に伴い港区浜松町へ森総合会計事務所、㈱森総合コンサルティングを移転 |
平成28年 | 一般社団法人 相続・事業承継センター設立、理事長に就任 税理士法人成りし、森総合税理士法人代表社員に就任 ザット税理士法人(国際部門)を統合 |
所属、役職等 |
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セミナー実績 |
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